自分のための読書メモ

本の感想を書き留めておきます。

トニー・セダン『20世紀デザイン グラフィックスタイルとタイポグラフィの100年史』(東京美術、監訳:長澤忠徳、訳:和田美樹)

 

 

 明らかに、20世紀はデザインの世紀だ。それまでのヨーロッパにおける産業革命の流れを踏まえ、今日につながる「デザイン」が大きく花開き進化したこの100年間は、より高度な生産技術や加工技術が次々に発明され、またそれらが革新され続けたデザイン技術革命の時代といってもよい。

(監訳者まえがきより)

 

こういうのも「読書」なのかというと微妙ですが、面白かったので書いてみます。

 

産業革命

18世紀半ばから19世紀初頭にかけて、イギリスで産業革命が起こりました。

産業革命=ワットの蒸気機関というイメージが強いですが、それだけではありません。トーマス・ニューコメンによる蒸気機関の発明(1708年)(その後、ジェームズ・ワットにより改良(1769年頃))、ジェームズ・ハーグリーブスによるジェニー紡績機の発明(1764年)、リチャード・アークライトによる水力紡績機の発明(1769年)といった技術革新も大きな原動力でした。

またこれらに加え、ヘンリー・モーズリーによる精密なねじ切り旋盤の発明(1800年)と自身の工房内でのネジの規格化、さらにジョセフ・ウィットウォースによるネジ規格の考案(1841年)とそのイギリス国内での普及といった各種の標準化運動も、産業革命に大きく貢献したといえるでしょう。

もう少しさかのぼれば、イギリスが広大な植民地を持ってグローバルに商業覇権を手にしていたということや、イギリス国内の農業革命も条件として重要だったのでしょう。まぁ、いろんなことがあっての産業革命ですね。

・・・その辺りはさておき、産業革命の結果、工業のあり方は従来の職人による手仕事から、機械による大量生産へと変化することとなりました。

 

アーツ・アンド・クラフツ運動

この大量生産時代の到来は人々の生活を豊かにした面もありましたが、工場で大量生産された画一的で味気ない商品があふれるようになりました。こうした社会の変化を背景とし、1880年代のイギリスで始まった芸術運動がアーツ・アンド・クラフツ運動です。アーツ・アンド・クラフツ運動は、手仕事の尊重による手工芸品の良質化、またそうして作られた製品の普及を目指すものであり、ウィリアム・モリスが芸術的なインテリア製品や書籍をデザイン・製作するために設立したモリス商会に端を発します。人の手で作ることにより、労働の喜びや手仕事の美しさを取り戻し、芸術性のあるものを生活の中に置こうとしたわけです。
この運動は、オーストリアでのウィーン分離派やウィーン工房、ドイツでのユーゲント・シュティール、フランスでのアール・ヌーヴォーなど、新たな芸術の在り方を模索するヨーロッパの様々な芸術運動に影響しました。
しかし人の手で作るとなると生産できる数はどうしても限られますし、コストは高くなり、それらの製品は富裕層にしか届かないものとなってしまいます。また、比較的機械化の波に乗ろうとしたアール・ヌーヴォーも、そもそも目指す製品の形態が自然をモチーフにしたものであり、「曲線的」「有機的」を特徴とするものだったため、たとえ機械で作ることができたとしても高コスト化は免れません。
結果的にはアーツ・アンド・クラフツ運動、アール・ヌーヴォーやその他芸術運動は、1900年ごろを境に勢いを失うこととなりました。

しかし、アーツ・アンド・クラフツ運動にはじまる生活と芸術を統合する試み、あらゆる分野の枠を超えた総合芸術という概念は、後の時代のデザイナーにも受け継がれることとなり、近代デザインの出発点となるわけです。

 

本書の内容

本書では、1900年代から10年ごとにグラフィックデザインタイポグラフィの主要なトレンドがまとめられています。図は多く、眺めていてとても楽しいです。

本書で紹介されている各年代の主なキーワードは以下のようなものです。

 

1900年代~

アーツ・アンド・クラフツ、アール・ヌーヴォーウィーン分離派、プラカットシュティル、未来派

1910年代~

シュプレマティズム、ヴォーティシズム、ダダイズム、デ・スティル

1920年代~

構成主義アール・デコバウハウス

1930年代~

ミッドセンチュリーモダン

1940年代~

国際タイポグラフィ様式

1950年代~

ポップアート

1960年代~

サイケデリア、オプアート

1970年代~

ポストモダニズムニューウェーブ、パンク

1980年代~

デジタル・エイジ

 

アール・ヌーヴォーアール・デコ、ミッドセンチュリーは比較的言葉として有名なのかなと思うのですが、どうなんでしょうかね。バウハウスなんかは、シンプルめの腕時計を調べているとよく目にする言葉のように思います。

この本を読めば、「アール・ヌーヴォーの建物」「ミッドセンチュリー風の家具」「バウハウスっぽい腕時計」と誰かが言っていても、あぁこういうことねと理解しやすくなるかもしれません。また日々目にするポスター、書体、チラシ、会社や商品のロゴ、CDのジャケット、本の表紙、お菓子のパッケージなどもグラフィックデザインですし、興味が湧いてきますね。

ちなみに私の好きなバンド、Franz Ferdinandの2ndアルバム「You Could Have It So Much Better」のジャケットも、ロシア構成主義の芸術家、アレクサンドル・ロトチェンコのポスターのオマージュです。

 

一つのポスターを見て「これは○○年代のっぽいな」と感じることは難しくても、本書をざっと読んで、ポスターの雰囲気が時代ごとに違うということを感じることは難しくありません。

絵画でも音楽でもそうだろうと思いますが、時代時代でやっぱりトレンドというものはあるのですね。伝統に対する反発が新たな様式を生み、そしてその様式も時代が経つにつれて陳腐化し、それに反抗する新たな様式が生まれるということの繰り返しです。

ただ80年代以降は、「ポストモダニズム」という言葉があるように、それ以前の「ある様式にはめる」という態度自体を否定する動きが起こりました。そのため表現が非常に多様で、時代として一つの枠に当てはめることは難しい感じがあります。時代におけるトレンドというよりかは、デザイナーごとに個性が表れている感じですかね。

 

・・・と、1世紀にわたるポスターの雰囲気の変遷を見ていた中で、これはなかなか異質だなと感じたのが、“Think Small”として知られる1959年のフォルクスワーゲン・ビートルの広告です。画像は著作権的にあれなので、調べてみてください。

ポスターのやや左上、何もない空間に小さなビートルがぽつんと置かれ、下側に”Think small.”の文字。周囲を、余白という形を使ってでもなるべくシンプルにすることで、ビートルを際立たせているわけですね。

限りなくシンプルにしているから当たり前といえば当たり前なのですが、1950年代という古い広告でありながら、どの型にもはまっていません。同時代のポスターには、悪く言えば色味や構成、フォントといった部分に少なからず時代を感じてしまいますが、これはこないだ出た広告と言われても信じてしまいそうです。デザインの歴史をまとめた本の中に時代感のないポスターがぽっと出てきたので、印象的でした。

※”think big”は本来、「大きく(野心的に)考える」という意味。

 

そしてタイポグラフィの歴史も興味深いですね。

活版印刷から写真植字、そして今日まで続くDTPと、印刷技術の発展とともにタイポグラフィも変遷してきたということがよく分かります。また、ポスター等のデザインと同様に1900年代にはアール・ヌーヴォー1920年代にはアール・デコの影響を受けた書体が登場していますし、1940年代には第二次世界大戦によってタイポグラフィを含めたグラフィックデザインの運動も停滞するなどしました。

Wordでフォント一覧を見ると、なんでこんなにたくさんあるのと素人的には思ってしまいますが、それら一つ一つに歴史があり、生み出された理由があるわけです。日本語フォントの紹介は本書にはないのですが、Century(Oldstyle)、Times New RomanHelvetica、Arialといった日本人にも比較的馴染みのあるフォントは本書で紹介されています。

 

ちょうど今、東京都庭園美術館で「20世紀のポスター[図像と文字の風景]」という展覧会が開かれているようです。行ってみようかな。

三島由紀夫『宴のあと』(新潮文庫)

 

宴のあと (新潮文庫)

宴のあと (新潮文庫)

 

 

あらすじ

 もはや恋愛と無縁だと思っていた料亭の女主人福沢かづは、ある宴席で、独り身の野口雄賢に強く惹かれた。熱情と行動力を備えたかづと、誇り高き元外相の野口は、奈良への旅を経て、結婚する。野口は請われて革新党候補となり、夫妻は選挙戦に身を投じることに。モデル問題で揺れた作品ながら、男女の浪漫の終焉を描いた小説として、国内海外で高く評価された。

三島由紀夫 『宴のあと』 | 新潮社

 

三島由紀夫は好きな作家の一人です。なので、その作品の中でも特に高い評価を得ているというこの「宴のあと」も、名前だけは知っていました。

この本は、都知事候補である野口雄賢と、その彼を支える女性である福沢かづの恋愛と政治の葛藤をテーマとしていますが、このモデルとされた元外務大臣有田八郎が、プライバシーを侵害されたとして三島由紀夫と新潮社を訴えたという事件がありました(1961年)。当時はこの裁判で非常に有名になり、日本において初めてプライバシー、表現の自由が争点になった裁判として、今でも法学を学ぶ人は誰でも知っているという作品だそうです。工学部生にとってのタコマ橋崩壊事故のようなものでしょうか。

・・・ということで、日本では作品自体の芸術性というよりもこの事件で有名になのだといいます。ただ私自身はこの時代に生まれていませんし、法学をきちんと学んでもいませんので、そのようなルートからこの「宴のあと」を知ることはありませんでした。単に「金閣寺」とか「潮騒」といった三島由紀夫の本を読むうちに興味を持って、他に何かないかと調べていたらこの本にも行き着いたということです。いつかは必ず読むだろうという確信はあったので、とりあえず買って、本棚にしまっておいていました。が、あらすじを読んで「政治の話かぁ…」と、忌避感とまではいかないまでも、少し近寄りがたい雰囲気を勝手に感じてしまい、いつのまにか読むのがどんどん後回しになっていた作品です。

 

この作品のテーマは、大きく分ければ以下のように書けると思います。

①政治的思想よりも選挙資金と庶民感情が力を持つ日本の非政治的風土

②観念的な野口と行動的なかづという対照的な2人の夫婦生活の顛末

 

①については、これは色々な方が分析していますし、ここでは特に書かないことにします。

②については、この本が政治的な小説だと思っていた私にとっては意外な収穫で、どちらかというとこっちのテーマに惹かれながら楽しく読むことができました。

 

野口とかづは、お互いの人間的魅力、老後の孤独に対する恐怖を引力として引かれ合い、結婚した。まもなく、野口に都知事選出馬の誘いが来てそれに応じる。この時から、「都知事選での勝利」が2人の共通する目標、ベン図で言うA∩B、2人の共通部分となる。これが存在する限りは夫婦として存続することができた。ここのおかげで、かづが野口に相談もせず勝手なことをしても、野口は(破局には至らないレベルで)目をつぶることができた。しかし野口が都知事選に負けたことはこの共通部分の消滅を意味した。とはいえ、これだけであれば辛うじて2人の交点は保たれたかもしれない。しかし、この選挙戦での敗戦を機に大人しく老いていこうとする野口に対し、敗戦後の空虚を嫌い、あくまでも生を渇望するかづの間には斥力が生まれ、ついに2人は離婚した。

・・・ちょっとオリジナルな形でまとめてみました。

 

野口と会っているあいだはさほどのこともなかったのに、別れたあとで忽ちいろいろな感情が暴風のように起った。第一に、野口にいつもきれいな洗い立てのYシャツを着せ、仕立卸しの洋服を着せるという空想に熱中した。(p.37)

 

自分から「与える」ことが愛することの本質だというフロム的な説明に拠れば、かづは確かに野口を愛していたのでしょう。しかしそれが上手くいく条件、野口という人間を尊重した愛し方をしていたかというと、決してそうではありません。選挙違反をしたり、グッズを作り、有権者の感情に訴えかけるPR活動をしたりといったかづの行動は、野口の信条に反するものでした。

結局、冒頭の下記の文も象徴するように、やはり人間的な性質としては水と油、互いに親和的でないため、選挙という宴が終われば離れる運命にあったのでしょう。どちらかが寄り添い譲歩すれば、また違ったのかもしれませんが。

 

むこうへ渡ってからも、かづはまだ野口の手を握っていた。それはごく乾いて、薄手で、植物の標本のような手だったが、かづがまだ握っていると、野口の手はそろそろと、盗むように引き取られた。かづは全く手を握りつづけていることに無意識だったが、野口のこんなおずおずとした手の引取り方で、自分のはしたなさに気づかせられてしまった。(p.30)

 

人は自分が持っていないものを持つ人に魅力を感じる、とよく言われますし、確かにそういうこともあるかなとは思いつつも、やはりあまりに違っては、少なくとも根っこの部分で共通するものがなければ瓦解してしまうのでしょう。それでも互いが柔軟になれば存続の可能性もありますが、その態度は野口にもかづにもなかったように見えます。

かづは、自分の生き方を通すためなら何でもやるという意味ではフレキシブルでしたが、そもそも自分の生き方を曲げることはしませんでした。一見すると野口の方が頭の硬い柔軟性に欠ける人間に見えるのですが、自らの理想を追い求めるという点ではかづも似たようなレベルのようにも思えます。

かづは終盤、料亭を売って婚姻関係を継続するか離婚するかの選択を野口に突き付けられますが、もう既にかづの頭の中では、野口家の墓に入って死後の孤独に対する心配を払拭するか、それとも、無縁仏になっても構わないから忙しく生き生きとした生活を選ぶのか、という愛情の介在しない選択になっているのでした。

 

ところで本作では、かづの人間性については多くのページを割いて、そして多くの語彙を用いて豊かに表現されています。そのため読んだ後には「かづはたくましい女性だった」という印象や、「かづは野口を愛してたけど、野口は何だったの」という印象が強く残る作品です。これに比べると野口については非常にあっさりと描かれていて、野口がどういう気持ちをかづに抱き、結婚したのか、掴みづらいところがあります。ということで、もう少しその辺りを探る努力をしてみたくなりました。

選挙戦の最中、連日応援演説に励んでいたかづの喉を心配して野口がうがいを勧めたり、かづの選んだスーツを着って演説に出るといった場面は最も分かりやすい愛情表現ではないかと思います(それでもかなり控えめなのですが)。この辺り以外で引っ掛かりを感じたのは、作中に出てくる「デンドロビウム」についてです。

結婚前のまだ知り合って間もない頃、野口とかづは昼食を共にします。そこで、背後にある蘭を指し、野口がかづにその蘭の名前を訊く場面がありました。

 

 途切れた話は、次は洋蘭の話からはじまった。これは又かづには全く不得手な話題で、目の前の老人が少年のように自分の無益な知識を誇るのを、だまって傾聴していなければならなかった。何十年もむかし、野口が気に入りの少女に向かって、いかに誇らしげに自分の知っているかぎりの知識を披瀝したかが想像された。

「あれをごらん。あの蘭をなんというのか知ってるかね」

かづは自分のうしろへ首をめぐらして、台の上に乗った鉢植をちらと眺めたが、何の興味もなかったので、ろくに見もせずに首を戻して、知らないと答えた。この答は何分早すぎた。

「あれはデンドロビウムというのだ」と野口はいささか不機嫌に言った。(p.35-36)

 

デンドロビウム花言葉は「わがままな美人」であり、これはかづの特徴をよく表している言葉です。「わがままな美人」というのは決して誉め言葉ではないし、そもそも野口が花言葉までも知っていたのかどうかは定かではないのですが(しかし、はたして野口のような人間が、デンドロビウムという花の名前とその外見を結びつけて記憶するだけで満足するものなのか・・・)、やっぱり野口も野口なりにかづの人間性を分析し理解していたのではと思わせる場面です。また野口はユーモアが皆無な人間だそうですが、かづというわがままな美人に、それを花言葉として持つ花をわざわざ紹介するというのはユーモアのある悪口と捉えられなくもない、かも。相手に届いていなければ何も意味はないのですが。

また、野口が都知事選に負けた後は、デンドロビウムを一鉢買って家へ持って帰ってきた場面もあります。

こういった行動を考えると、野口はかづのわがままな、良く言えば天真爛漫な面を憎んでいたとも思えず、表に出ない愛情というのもあったのではないか・・・と思えてきます。しかしこんなことを書くとそんなの愛情じゃないと怒られそうな気がしますし、流石に想像が過ぎるでしょうか。

 

ちなみに、かづと野口の離婚が決定する第18章のタイトルは「宴のあと」。そして最終章、料亭の再建に向けて動き出す第19章のタイトルは「宴の前」。この作品自体のタイトルといい、本当に流石というか、ぴったりですね。